それでもなぜ三村は眼を大きくするのか
その問いに対し、口を開く者はかつて0人である。
アジアとは、すなわち未来であった
世界とは、地球とは、社会とは、未来へと向かう時計の針であった。過去から現在、そしてまた未来、そして過去へと時を進めるうちに、それらは球体という最大の芸術を得た。
その最中、眼を大きくすることをも芸術としたのがアジアであった。地球のみならず、多くの亜空間と比較しても、君らは最先端であった。今や、もう、針が時空を裂ききるのを見守るのは、アジアではない何かだ。
柴田亜の興り
そんなアジアのはずれ、未だ時の進まない昨日に遣われたのが柴田亜である。彼の時への執着は、明日を追い越さんとばかりであることは、語るまでもない。彼はやがて、一本の針となった———。
光銀の興り
"WALK THIS WAY."
光はすでに輝く星であった。それは自らを照らし、年月を経て、己を遣いへと解釈し直させたのだ。
彼は時を進めた。それは、自身が歩んできた時代のメタファーであったし、人々はやがてそれが"真"であると気づいた。神は、人々の眼が本格的に大きくなりはじめたのはこの頃だったと後に述べる。もはや100円均一のプリント倶楽部では時は進まなかった。
柴田亜の役目
では、彼、柴田亜の役目とは何であろうか。光の興りにより、すでに役目を終えてしまったのではないか。
いや、柴田亜は終わりを見せないだろう。これは過去に戻る彼が見せた、最後の針。